2008年02月26日(火)
さよならアンティー・ジェノア
今朝、ハワイのミュージック・レジェンド、そして愛すべきクプナ、アンティー・ジェノア・ケアヴェさんが亡くなりました。89歳でした。
地元紙のニュース記事 → http://www.honoluluadvertiser.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20080225/BREAKING01/80225037
今月に入ってから入院されていたことは聞いていました。
先週の木曜日、彼女がレギュラーでつい先月までライブをやっていたワイキキ・マリオット・ホテルのモアナ・テラスへ行ってみると、ステージでは彼女の孫が歌い、アンティーは座って笑顔でそれを見守っていました。そのときが公衆の前に出た最後だったそうです。
最後にひと目会うことができてよかったけど、彼女の生の歌声があの場所でもう聴けないのは、なんてさびしいことだろう。。。
ショックで何も手につかないので、夜空に黙祷して、この記事をアップしています。
フラナビ・ブログに登場したアンティー
年齢差76歳の師弟? → http://daisuke.blog.mo-hawaii.com/300.html
フラレア「ハワイ音楽史」に僕が去年書いたジェノア・ケアヴェの記事を転載させていただきます。
↓ ↓
フラレア29号
ハワイ音楽史
もっと知りたいハワイアン・ミュージック
~ジェノア・ケアヴェ~
文:吉見大介
ハワイアン・ミュージックの歴史を語るうえで、絶対にはずせない女性シンガー、ジェノア・ケアヴェ。現役で歌い続ける、いまや生きる伝説とも言える大御所のアンティーについて、僕は全く語る力を持たないので、このような形で書かせてもらうことにした。
先日、ちょっと気が向いて部屋の書斎コーナーの大掃除をしたら、古いノートが出てきた。日記帳のように使ったノートだったが、半分以上白紙のままで忘れられていた。見つけたノートをパラパラとめくっていたら、あるページに目が留まった。そのページは1997年1月9日付けになっている。10年前だ。そこには、ある女性と交わした、頬と頬をつけるハワイアン・スタイルの挨拶について、興奮気味に綴られていた。その出来事のことは今でもくっきりと思い出せる。その女性は僕の頬にキスをし、僕はその人の頬にキスをしたのだが、このとき僕の身体に明らかに電気が走ったのだ。その興奮がこの日記のページを書かせたわけだ。そしてその女性とは、ハワイアン・シンガー、ジェノア・ケアヴェ、当時80歳を目前にしていた愛すべきアンティーのことである。懐かしくその日記を読んで、このコーナーでアンティー・ジェノアについて書かなければいけない、そう思ってこうして書いているというわけである。
アンティー・ジェノアといえば、ハワイ音楽界の大御所中の大御所。
フラ・ダンサーなら誰もが知る、あの高音の声で歌う女性ハワイアン・シンガーである。パパリナ・ラヒラヒ、イ・アリイ・ノー・オエ、クウ・レイ・ホク、ノホ・パイパイなどおなじみのフラ・ソングはみんなアンティー・ジェノアの代表曲だから、あなたも彼女の歌声に合わせて踊ったことがあるだろう。アンティー・ジェノアがウクレレでコードをかき鳴らしながらテンポ良く歌うハワイアン・ソングは「チャランガラン・ミュージック」と呼ばれ親しまれる、ハワイの人たちのバックヤード・バーティー・ミュージックであり、フラ・ダンサーに欠かせない音楽だった。現在活躍するエイミー・ハナイアリイやアネライカラニ、ライアテア・ヘルムといった人気ハワイアン女性シンガーは皆、ジェノア・ケアヴェのハワイアン・シンギング・スタイルを継承する次世代のシンガーたちである。
ジェノア・ケアヴェがハワイアン・ミュージック・シーンの第一線で活躍し始めたのは1940年代。子供のころから歌うのが大好きで、ラジオにかじりついて音楽を聴き、教会のコーラス隊で歌っていた。20歳を越えたころからプロのシンガーとして憧れのラジオ・ショーにレギュラー出演するようになり、1946年に28歳で初レコーディングをする。それから20枚以上のアルバム(今は昔、78回転や33回転のレコード時代)、そして150枚ものシングル盤(45回転のレコード)を発表する。50年代、60年代を通してレコーディング・アーティストとして一時代を築き、そのシンガーとしてのキャリアはその後も現在までずっと続いている。ライブ活動にも積極的で、その長いキャリアの間、常にワイキキを中心にバーやクラブで歌い、ファンを喜ばせ続けている。
裏声を使って高音域で歌うファルセット・シンギング・スタイルは、ハワイアン・ミュージックのひとつのスタイルであるが、アンティー・ジェノアはその完成型というか極めた人といえる。彼女の代表曲である『アリカ』を聴けばそれは一"耳"瞭然だ。あの高音で、しかも息継ぎ無しで2分近くも一音をホールドし続けるのは、もう反則の離れ業(?)である。彼女のボーカル・スタイルは、子供時代の教会での合唱、そして人気ハワイアン・シンガー、アリス・ナマケルアによるトレーニングで形成されたものであると言われるが、アンティー自身はいつもインタビューに答えて、「神さまから授かったもの」と説明する。
一度でもアンティー・ジェノアのライブを観たことがある人なら、あの『アリカ』のすごさとともに、彼女のフラへの愛着を感じることができるだろう。基本的にフラ・ダンサーが踊りやすいアレンジとテンポで歌い演奏するのが、ジェノア・ケアヴェのかたくななまでのスタイルである。CDで聴かれる曲もライブで演奏される曲も、変則的なリズムや楽器ソロの間奏は必要最小限にとどめられている。そしてバーでのライブに来るフラ・ダンサーの客には、その場で即興で踊らせるのが常だ。アンティーはフラ・ダンサーのために歌い、フラ・ダンサーはアンティーのために踊る。歌と踊りのいい関係、それはアンティー・ジェノアが示し続けた大切なことのひとつだろう。
現在90歳を目前にしてなお現役で歌い続けるアンティー・ジェノアの定期ライブは、ワイキキのマリオット・ホテル3階のモアナ・テラスで今も毎週木曜日に行われているから、ぜひ一度足を運んで、生きる伝説の歌声を生で聴いてほしい。
みんなに愛されるチャーミングなアンティー・ジェノアだが、彼女も強きハワイアン女性のひとりである。曲がったことにはビシッと力強いムチを飛ばす怖い一面もしっかりと持ち続けているから、叱られないようにせいぜい気をつけよう。冒頭のアンティーとの挨拶のエピソードと同じときだったか、彼女がホテルのバーで演奏中、ビデオの撮影はお断りと再三言ったのにも関わらずビデオをまわしていた日本人に遠慮なく叱る姿を僕は見ている。アンティーに"強いハワイ女性"の一面を見たもうひとつの場面はテレビだった。ハワイの子供たちにアンティーがウクレレを教えているシーンで、私にはできない、と泣きそうな女の子にアンティーはこう言った。
「あなたに"できない"ことはないの」
やるかやらないかのどちらかなのだ。できるようになるために努力するのかしないのか、の問題なのだ。初めから"できない"と決まっていることなんかない。アンティー・ジェノア・ケアヴェが言うとその言葉の重みは大変なものだ、と僕はひどく感動した覚えがある。
ところで、アンティーとのキス(?)で電気が走ったことがある僕は、後にあるイベントでの仕事でアンティーと同じ場所にいて、成り行きで車椅子の彼女の付き添いをすることになったことがあった。そのとき僕が押す車椅子に座っていた彼女は、変わらず毅然としてやさしいハワイ女性であった。ステージの出番を待つ間二人で過ごした時間は、そこだけ時間が止まったような、静かで幸せな時間だった。
アンティー・ジェノア、来年90歳を迎えるハワイの宝物である。
―フラレア29号(2007年)より転載
地元紙のニュース記事 → http://www.honoluluadvertiser.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20080225/BREAKING01/80225037
今月に入ってから入院されていたことは聞いていました。
先週の木曜日、彼女がレギュラーでつい先月までライブをやっていたワイキキ・マリオット・ホテルのモアナ・テラスへ行ってみると、ステージでは彼女の孫が歌い、アンティーは座って笑顔でそれを見守っていました。そのときが公衆の前に出た最後だったそうです。
最後にひと目会うことができてよかったけど、彼女の生の歌声があの場所でもう聴けないのは、なんてさびしいことだろう。。。
ショックで何も手につかないので、夜空に黙祷して、この記事をアップしています。
フラナビ・ブログに登場したアンティー
年齢差76歳の師弟? → http://daisuke.blog.mo-hawaii.com/300.html
フラレア「ハワイ音楽史」に僕が去年書いたジェノア・ケアヴェの記事を転載させていただきます。
↓ ↓
フラレア29号
ハワイ音楽史
もっと知りたいハワイアン・ミュージック
~ジェノア・ケアヴェ~
文:吉見大介
ハワイアン・ミュージックの歴史を語るうえで、絶対にはずせない女性シンガー、ジェノア・ケアヴェ。現役で歌い続ける、いまや生きる伝説とも言える大御所のアンティーについて、僕は全く語る力を持たないので、このような形で書かせてもらうことにした。
先日、ちょっと気が向いて部屋の書斎コーナーの大掃除をしたら、古いノートが出てきた。日記帳のように使ったノートだったが、半分以上白紙のままで忘れられていた。見つけたノートをパラパラとめくっていたら、あるページに目が留まった。そのページは1997年1月9日付けになっている。10年前だ。そこには、ある女性と交わした、頬と頬をつけるハワイアン・スタイルの挨拶について、興奮気味に綴られていた。その出来事のことは今でもくっきりと思い出せる。その女性は僕の頬にキスをし、僕はその人の頬にキスをしたのだが、このとき僕の身体に明らかに電気が走ったのだ。その興奮がこの日記のページを書かせたわけだ。そしてその女性とは、ハワイアン・シンガー、ジェノア・ケアヴェ、当時80歳を目前にしていた愛すべきアンティーのことである。懐かしくその日記を読んで、このコーナーでアンティー・ジェノアについて書かなければいけない、そう思ってこうして書いているというわけである。
アンティー・ジェノアといえば、ハワイ音楽界の大御所中の大御所。
フラ・ダンサーなら誰もが知る、あの高音の声で歌う女性ハワイアン・シンガーである。パパリナ・ラヒラヒ、イ・アリイ・ノー・オエ、クウ・レイ・ホク、ノホ・パイパイなどおなじみのフラ・ソングはみんなアンティー・ジェノアの代表曲だから、あなたも彼女の歌声に合わせて踊ったことがあるだろう。アンティー・ジェノアがウクレレでコードをかき鳴らしながらテンポ良く歌うハワイアン・ソングは「チャランガラン・ミュージック」と呼ばれ親しまれる、ハワイの人たちのバックヤード・バーティー・ミュージックであり、フラ・ダンサーに欠かせない音楽だった。現在活躍するエイミー・ハナイアリイやアネライカラニ、ライアテア・ヘルムといった人気ハワイアン女性シンガーは皆、ジェノア・ケアヴェのハワイアン・シンギング・スタイルを継承する次世代のシンガーたちである。
ジェノア・ケアヴェがハワイアン・ミュージック・シーンの第一線で活躍し始めたのは1940年代。子供のころから歌うのが大好きで、ラジオにかじりついて音楽を聴き、教会のコーラス隊で歌っていた。20歳を越えたころからプロのシンガーとして憧れのラジオ・ショーにレギュラー出演するようになり、1946年に28歳で初レコーディングをする。それから20枚以上のアルバム(今は昔、78回転や33回転のレコード時代)、そして150枚ものシングル盤(45回転のレコード)を発表する。50年代、60年代を通してレコーディング・アーティストとして一時代を築き、そのシンガーとしてのキャリアはその後も現在までずっと続いている。ライブ活動にも積極的で、その長いキャリアの間、常にワイキキを中心にバーやクラブで歌い、ファンを喜ばせ続けている。
裏声を使って高音域で歌うファルセット・シンギング・スタイルは、ハワイアン・ミュージックのひとつのスタイルであるが、アンティー・ジェノアはその完成型というか極めた人といえる。彼女の代表曲である『アリカ』を聴けばそれは一"耳"瞭然だ。あの高音で、しかも息継ぎ無しで2分近くも一音をホールドし続けるのは、もう反則の離れ業(?)である。彼女のボーカル・スタイルは、子供時代の教会での合唱、そして人気ハワイアン・シンガー、アリス・ナマケルアによるトレーニングで形成されたものであると言われるが、アンティー自身はいつもインタビューに答えて、「神さまから授かったもの」と説明する。
一度でもアンティー・ジェノアのライブを観たことがある人なら、あの『アリカ』のすごさとともに、彼女のフラへの愛着を感じることができるだろう。基本的にフラ・ダンサーが踊りやすいアレンジとテンポで歌い演奏するのが、ジェノア・ケアヴェのかたくななまでのスタイルである。CDで聴かれる曲もライブで演奏される曲も、変則的なリズムや楽器ソロの間奏は必要最小限にとどめられている。そしてバーでのライブに来るフラ・ダンサーの客には、その場で即興で踊らせるのが常だ。アンティーはフラ・ダンサーのために歌い、フラ・ダンサーはアンティーのために踊る。歌と踊りのいい関係、それはアンティー・ジェノアが示し続けた大切なことのひとつだろう。
現在90歳を目前にしてなお現役で歌い続けるアンティー・ジェノアの定期ライブは、ワイキキのマリオット・ホテル3階のモアナ・テラスで今も毎週木曜日に行われているから、ぜひ一度足を運んで、生きる伝説の歌声を生で聴いてほしい。
みんなに愛されるチャーミングなアンティー・ジェノアだが、彼女も強きハワイアン女性のひとりである。曲がったことにはビシッと力強いムチを飛ばす怖い一面もしっかりと持ち続けているから、叱られないようにせいぜい気をつけよう。冒頭のアンティーとの挨拶のエピソードと同じときだったか、彼女がホテルのバーで演奏中、ビデオの撮影はお断りと再三言ったのにも関わらずビデオをまわしていた日本人に遠慮なく叱る姿を僕は見ている。アンティーに"強いハワイ女性"の一面を見たもうひとつの場面はテレビだった。ハワイの子供たちにアンティーがウクレレを教えているシーンで、私にはできない、と泣きそうな女の子にアンティーはこう言った。
「あなたに"できない"ことはないの」
やるかやらないかのどちらかなのだ。できるようになるために努力するのかしないのか、の問題なのだ。初めから"できない"と決まっていることなんかない。アンティー・ジェノア・ケアヴェが言うとその言葉の重みは大変なものだ、と僕はひどく感動した覚えがある。
ところで、アンティーとのキス(?)で電気が走ったことがある僕は、後にあるイベントでの仕事でアンティーと同じ場所にいて、成り行きで車椅子の彼女の付き添いをすることになったことがあった。そのとき僕が押す車椅子に座っていた彼女は、変わらず毅然としてやさしいハワイ女性であった。ステージの出番を待つ間二人で過ごした時間は、そこだけ時間が止まったような、静かで幸せな時間だった。
アンティー・ジェノア、来年90歳を迎えるハワイの宝物である。
―フラレア29号(2007年)より転載
投稿者 Daisuke 15:52 | コメント(2) | トラックバック(1) | ハワイアン・ミュージック
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TheHonoluluAdvertiserによりますと、ジェノア・ケアヴェさんが亡くなったそうです。享年89歳。ジェノア・ケアヴェ公式サイトもご覧ください。「さようなら。アンティ・ジェノア...」映像手前がGenoaKeawe、ギターがVioletPahuLiliko`i、スティールがBillyHewLenです...
GenoaKeaweさん、Laniへ旅立つ [世界の片隅で小さな声で申し訳なさそうに「スティール!」と叫ぶ!]
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彼女の歌う「Papa Lina LahiLahi」が大好きです。
Hawaiiへ行って彼女の歌う姿を見て
生歌を聞く事が夢でした。
夢が1つ潰えたのも悲しいです。
ご冥福を日本の南の島から祈っています。